キサイチライスの職人たち
キサイチライスの職人たちをご紹介いたします。
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私市兄弟商店 北斗市 本社所属
代表取締役 私市 実好きなもの:寿司、イカ刺し、日本酒
嫌いなもの:暇な時間1961年旧上磯町谷好で農家の長男として生まれました。
上磯で生まれ上磯で育ち上磯を愛しています。
『米業界で生きる』そう決意したのが昭和56年の事でした。
父であり創業者である社長春雄と共に上磯町で一番の米屋になるぞ、そんな所からスタートしました。
21歳で結婚し、長男、次男を授かり、こいつらに継いで貰える米屋に成るぞ!という使命をもってここまで来た感じがします。
今は、皆様に期待される米販売会社になる為に設備投資を充実させ更なる扱い量を増やすために、仕入できる仲間を増やしています。
北海道の産地にキサイチライスがあり続ける為に存在意義を明確にして、これからも全国に美味しい北海道米を販売し続けます。 -
私市兄弟商店 札幌支店所属
札幌支店長 私市 到好きなもの:春、夏、秋、実家の居心地
高校卒業後本州の大学に経営学を学ぶ為、進学しましたが、『経営は現場で学ぶべきだ』と謎の意識が芽生え、夏を待たずして早期中退。
紆余曲折を経てアパレル業へ入社し配属先の大手百貨店店舗で人生の師TKRと出会い、現在の人間性となる全ての基礎をスパルタ指導頂きました。
仕事が終わったら毎日居酒屋でお酒が来るまでお説教。お酒が来たら仕返しをする日々でした。
持ち前の愛嬌とユーモアで若手のホープとして大変可愛がられるものの、ここから!という時に父から戻り要請を受け米業界に進出。玄米調製を学びながら営業を開始するが『息子』という大看板による営業にやりがいを見出せず再び本州へ飛び出す。
兄が立ち上げたSunQCreate’S(株)に入社し、経費削減を掲げ自転車営業を開始。
自転車営業を評価され『無名の若造が自転車で米売りに来た』と一部の方から根性を認められ、徐々に顔の繋がりが増え、さあここから!という時に再び父から『札幌支店設立』の要請を受け、いよいよ本気で家業を継ぐ決意を固める。
2016年設立から『支店長兼工場長』職を全うし、工場知識と技術を学びながら現場で指揮を執り続けています。 -
私市兄弟商店 北斗市 本社所属
業務部部長 三ツ星お米マイスター 笠原 英耶好きなこと・もの:
食べ歩き、レトロ食堂、鄙びた温泉、落語鑑賞2010年27歳の時に入社し、現在は営業を主に業務全般に携わっております。
札幌の大学を卒業後は、草津、箱根、伊豆といった温泉地でお金を貯めては、ニュージーランドやオーストラリアなど海外に長期で行くという生活をしておりました。そんな放浪生活で気づいた最も大事なこと、それは「やっぱり米と味噌汁だな。」ということでした。今現在お米を扱う職種にいることは、何かご縁を感じております。
日々当たり前のように食卓に並ぶ「米」ではありますが、改めてその美味しさやありがたさを実感していただける手段はないかと模索しております。
かの北大路魯山人もこう言っております。「うまいものの極地は米なのである。うまいからこそ毎日食べられるのである。」
お客様へ「安心安全」かつ「うまい」お米をご提案出来るよう、お米マイスターの資格も取得しました。また、年間360日は外食をし「食」を探求しております。決して単なる食いしん坊ではありません。 -
私市兄弟商店 北斗市本社所属
営業 倉内 順一好きな事:以前はマラソン大会に出る事でした。
今は料理です。スパイスカレー作り前職は厚沢部町にある雑穀店に勤務していました。玄米の取引で私市兄弟商店に納品に行ったのが始まりでした。その当時60kgの米を扱うのが初めてで春雄社長(現会長)に怒られながらなんとか荷下ろしをした記憶が忘れられません。『元気な人だなー』と思いながらも、怒られた事が悔しくて、悔しくて。雑穀店に戻ってから米を担いだり、積み上げたりして60kgの扱い方を練習しました。何回か納品に行っているうちにコソ錬の成果もあり、春雄社長に認められ『うちに来い』とお話を頂き転職を決意しました。
1995年に入社後、春雄社長(会長)、実専務(社長)、勉常務(専務)から仕入製造販売の全てを教わりました。注文がなく午前に精米し午後から飛び込み販売する所から始まり、現在の企業にまで成長する過程を共に歩んできました。良い時も辛い時もこの経験に詰まっていて、この経験を次世代に伝える事が今後の私の使命だと感じています。 -
私市兄弟商店 札幌支店所属
工場勤務 岸 宏好きなもの:ゲーム(原神・スプラ・ポケモン) なか卯の親子丼 前田さん
札幌生まれ札幌育ち頭良さそうな奴はだいたい友達。岸宏です。
名門大学中退の後、私の人生設計は大幅に狂いだしました。
就職がうまくいかず、自暴自棄となり、就職活動をやめ、ゲームばかりやっていました。
ゲームは今でも大好きですが、このままじゃダメだと再び就職活動を行い、アルバイトですがゲーム関係の仕事に就きました。新作ゲームのバグを見つける仕事。同じ事をやり続けます。ゲームが好きなので苦ではなかったのですが、本当に『ゲーム漬け』の日々でした。
やはりそこでもこのままじゃダメだと思い、好きな事を探しました。私は、細身ですが、食べる事が好きで大食いだと思っています。満腹を感じた事はあまりありません。
おかずに対してお米を3合食べる。『米』でした。私が好きな物。そう気が付いてから、米関係の仕事を求人社の方に紹介されたのが私市兄弟商店です。2019年7月入社しましたが、それまでまともな社会人経験がなく、対人関係・社会人マナー全て1から前田さんに教わりました。前田さんがいなければ今の岸宏はありません。師匠です。私は、繰り返し同じ作業をする事が得意です。ひたすら取る。ひたすら入れる。ここは私のテリトリー。前田さんに恩返しする気持ちで今日も働きます。そして帰ったら大好きな『原神』ゲームをします。 -
私市兄弟商店 北斗市 本社所属
精米担当 広瀬 敬明好きなこと・もの:
美味しいものをたべること、ビール ドライブ2022年7月より精米を本社工場の精米を担当しております。入社当時は1日の精米量や、当たり前のように購入していたお米が、様々な工程を経ていることに驚きました。
精米担当を任されてからは、機械の設定数値がたった1%の違いでも、お米の仕上がりが大きく変わってしまうことに難しさとやりがいを感じております。設備はどんどん進化し、スマート化の時代ですが、精米工程の中では目視や手触りも重要な判断材料になるなど、いわゆる職人技も必要とされる奥深い世界です。
生産者が丹精込めて生産したお米の良さを損なうことなく、正直に食卓にお届け出来るよう勉強の毎日です。
前職で取得した「函館イカマイスター」の知識を活かし、函館名物のイカ料理に合うお米のご提案もできたらと構想しております。イカでお困りの際は私にご連絡下さい。 -
私市兄弟商店 創業者
取締役会長 私市 春雄1939年旧上磯町谷好で農家の5人兄弟の長男として誕生する。
太平洋戦争や第二次世界大戦が始まった頃に生まれ、戦中、戦後を経験。
物がない時代を経験し、何をしても商売になった様な気がします。
16歳で自動車免許を取得し、三輪車にスピーカーを取付け、歌を歌いながら野菜や果物の移動販売を始めました。
屋号が丸八ということで、明るい性格もあり『丸八の兄さん』と呼ばれ親しまれた。
21歳の時に第1子実を授かり、その後次男勉、長女を授かる。
30歳の頃に『米』業務をスタートし、会社を成長させる。
50歳の頃になると会社のメイン業務を長男実に託し後進育成に励む。
79歳に社長職を長男実に託し、現在は隠居生活で趣味の相撲観戦をしている。